
ケンブリッジ到着
イギリス留学の準備ができていよいよ出国となりました。
無事ビザも間に合い(およそ6週間ほどで到着しました)、羽田空港からヒースロー空港へ出立いたしました。
ロシアーウクライナの戦争のためにANA便は通常とは異なる航路となっており、14時間もの長いフライトになりました。
そのため到着時はもうへとへとになっていました。
ヒースロー空港へ降り立った時は、観光旅行とは違い、これからここで生活していかなければならないのか、という不安な気持ちでいっぱいであったことを覚えています。
さらになんとロストバゲージしてしまうというまさに泣きっ面に蜂状態でした。
ヒースロー空港でロストバゲージした際は、ロストバゲージ用のカウンターがありますのでそこで、連絡先とホテル名を伝えれば後日届けてくれます。
到着は夜でしたので、予約していたタクシー(British Airport Transferにお願いしました)にてケンブリッジまで向かいました。
ケンブリッジでは家が見つかるまではホテルで暮らす予定でした。
すぐに見つかると思っていたのですが、家探しは難航し1か月もかかってしまいました。
体調不良
ケンブリッジに到着して3日後くらいから、なぞの体調不良におそわれました。
おそらくは時差ぼけやストレスによるものだとは思うのですが、食思不振、嘔気などがあり数日間はまともに食事もとれなくなりました。
さすがに不安になり、事前に加入していた海外保険に連絡したところ、ロンドンのジャパングリーンメディカルセンターという日本人の医師が働いている病院を紹介してくれました。
日本語でコミュニケーションがとれるというありがたさと、クリニックの先生がとても優しくしてくださり、救われたような気持になりました。
幸い検査でも大事無く、病状は回復していきましたが、あの時ほど不安な気持ちになったことは人生でもありませんでした。
家探し
体調が回復すると同時に家探しを本格的に行っていきました。
日本にいる間に内見の予約をとっていたのですが、いい物件はすぐに売れてしまっていたためケンブリッジに着いてから本格的に動き出しました。
周りの留学生に聞くと、現地の日本人に斡旋してもらったり、ケンブリッジ大学に紹介してもらう人が多いようでした。
私はそのようなつてがなく、自力で探す羽目となり苦労しました。
何件か物件を見ていて、相場が高いこと、安い家はかなり古かったりとなかなか決まらなかったのですが、5件目の物件でとても良い所が見つかりました。
家賃は月1600ポンドとやや高かったのですが、立地が駅前でとてもよく、屋内もきれいでしたのでここにしようと決心しました。
しかし人気の物件であり、応募者が何人かいることを不動産屋に聞かされました。
申し込みの時に、家賃をいくらにするか?という質問項目がありました。
これはおそらくは自分で家賃を上げて、大家にアピールすることができるシステム?なのかと考え、50ポンド値上げして申し込みました。
これが功を奏したのか見事契約にこぎつけることができました。
その後不動産屋と契約に入るのですが、ここからがさらに長い道のりでした。
リファレンスチェックというものがあり、たくさんの書類の提出を求められました。
この時求められたのは、
パスポート、住民カード、雇用証明書、預金証明書、
幸い英語での預金残高をもっていましたので、提出したところ、なんと妻の預金残高も出すようにと言われました。
さらに日本出国時のものではなく最新の預金証明を出すように言われました。
オンラインバンクのデータを見せても納得してくれず、交渉に苦労しました。
これはあとからわかったのですが、大家さんが納得してくれないのではなく、不動産屋と大家さんの間に保証会社のようなものがあり、この会社のチェックが非常に厳しかったのでした。
大家さんは後日会うことができましたが、非常に親日の優しい方であり、困ったことは何でも相談させて頂きました。この大家さんには本当に感謝しております。
まとめ
ケンブリッジ到着から家探しの苦労までお話させて頂きました。
まだまだ続きますが何かの参考になれば幸いです。
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